ひどくかっ飛ばして、定刻にやってきたバスの運転手は愛想もなかったですね。運行は代行バスも走らせているふらのバスなのでした。発車間際に走ってき乗って来た方は後頭部が寂しいおっちゃんでしたけど、布部で一緒に下車したのです。もしや思ってましたら、一緒に駅に向かって歩いてましたから鉄分なのでした。ただ、小さな手提げバッグひとつに、ひどく薄着の軽装だったのがナゾです🤔
当然ICなど使えないので現金払いですよ。ステップバリバリの昔ながらの扉が一つしかないバスでしたので、降りやすいように一番前に座ったら優先席でした😱気づかずに申し訳なかったですが、乗る人も疎らでしたからまぁいいでしょう🙇♀️
途中、麓郷入口というバス停や交差点がありました。あー、あの五郎さんの麓郷なのだと感慨深くなります。
布部入口というバス停で下車し、布部駅まで歩きますが、わたしはこの雪原と冬山の景色に見惚れてしばし足を止めて眺めておりました。おっちゃんはスタスタと脇目も降らずに行ってしまったよ。
後で調べたら、雪を被った美しい山容の山は芦別岳らしいです☝️
ひゃっほ〜い!
跳んでみました。ストールが靡いてますでしょ?
踏切上です。奥が布部駅です。軌道内には進入してませんよ😁廃線後はこの踏切も廃止になりますね。
早速、「北の国から此処から始まる」の碑の前で。
天才、倉本聡先生!この風景に囲まれたこの地を始まりされたのは絶妙すぎます🥺足元、盛り土なのか、雪が積もっているのか不明ですが、結構な積雪でしたね。
五郎さんと純くん蛍ちゃんが降り立った駅ですよ。わたしはシリーズ全て見ましたけど、あのような作品を制作するなんて、令和の現代ではムリでしょうし、視聴者も何が良いんだか、まったく意味わからんて人が多いでしょうね。
待合室は綺麗に清掃されて、駅ノートもありました。でも、過去ノートを不届きな輩が持ち去ったそうで、情けない世の中になったものです。クソマナーの悪いインバウンド共と同類ですね。
千羽鶴が飾られてました。何の祈願だろうか?写ってるのはおっちゃんの手提げ。置き去りにして、ホームで写真撮ってる模様でした😏
おっちゃんもウロウロして写真撮ってますので、お互い写り込まない風でシェアしてる感じですね。
かつては交換駅だった名残で、1番線と2番線の表示が残っておりました。秋に来た時は線路が見えてましたが、冬は使わない線路は除雪しないから雪に埋れたままです。線路が見える頃には廃線になってしまってますよ。
できれば列車を入れたいですが、わたしが乗る列車が次の到着ですから、絡めるのは不可能ですね。
結構風が冷たくて寒いのですよ🥶
後で訪れる幾寅と、ここ布部のために完全防寒仕様でやって来ました。イヤーマフ、手袋は当然ながら、ブラの上からヒートテックのアンダー着込んで、ヒートテックのスリップを重ねます。さらに、背中にペタッとカイロ貼りまして、一番厚手のロングスカート履いて、タイツも極暖のタイツなのでした。ついでにダウン90%のあったかコートも新調してまいりましたからね🥰余談ながら、ダウンコートはメチャクチャあたたかいのですが、クソ重たくて用途が限られそうですよ💧
なんにせよ、スカートとカカトのある靴はわたしのマストですからね、ここらが限界ですね。一応、スパイク持って来ましたけど、道路の雪がなかったのは助かりましたね。
文字がハゲハゲのワンマン乗車口。光ってるから読めるレベルなんです。
乗降客の少ないこの駅にも除雪作業員は立ち寄って作業していきます。小さな除雪用の機械がカバーかけてありました。
時刻表と運賃表と。
ロケの時の写真が貼ってありました。いや〜、田中邦衛さんも岩城浩一さんも若いなー😊もちろん、吉岡くんも中島さんも子供だもんね。わたしも似たような歳だから、お子さまでしたけどね😄
コートを脱いで撮っておくことに。わたしの持ってるスカートでは長い方です。フリーサイズにつき履く度にドキドキですが、今年も履けてよかったです😆
バス代行の案内ポスターとか、写真とか飾ってあります。
そろそろ帰りのバスの時間ですが、おっちゃん動く気配ありません。まじ、あと2時間以上もここで過ごすつもりなのか、隣駅の山部まで何かしらの方法で移動でもするつもりなのかナゾでしたが、後ほど東鹿越えで見つけたからどっかで乗ったでしょう。
静かな静かな駅でした。
春からは駅じゃなくなります。ここの駅舎は何らかのカタチで残るかもですけどね、でもただの駅だったトコロになってしまいますからね・・・。
道路が真っ直ぐ伸びる感じの、北海道らしい景色でしょうか。
バス停からも駅がちゃんと見えてました。行きは全然気づきませんでしたね。おっちゃん、ホームの先端に写ってますね。
楽しかった〜。でも、さっきのおっちゃんバスに乗らずに列車来るまで待つつもりかな?それとも山部まで歩いて1時間くらいだから行っちゃうのかな?
次は東鹿越を目指します。