チェックアウトの為、リフトで降りていると、途中階から大きな段ボール箱をアホみたいに抱えた喧しい連中が乗って来ます。そこまではわたしと男性の方だけだったのですが、彼も明らかにゲンナリした感じが読み取れました。ガンガン押して来て無理やりに乗り込んでくるわ、デケー声でリフト内で喚くわで、わたしはブチ切れて「うっせぇーなぁー💢」って日本語で怒りをコトバにしたら、ようやく黙りました😁日本語わかるヤローがいたのでしょうかね。それにしても、こいつらあのLCCに大量の荷物積んで帰るのか?近頃爆買いはしないって聞いたけど、どーなんだろうか?
ホテルの前には、運転士の制服もないような会社のバスが横付けされていて、そいつらそのバスに乗り込んでいきましたけど、こいつらがどれだけ金を落としていくのか知りませんが、こちらからしたら迷惑千万なのはいうまでもありませんね😤
朝から戯れが過ぎて、ホテルを出たのは10時前でした。まさか晴れると思ってませんでしたからね。ただし、風は冷たくて、まるで刺されているかのようでしたよ。
わたしが函館で遣り残していることは、摩周丸、五稜郭へ行くことと、道南いさりびの鉄道の濃緑色と市電の転スララッピングを見ること、それと函館山から昼と夜の境目の夕焼けの赤と、夜の青が混じり合う時間帯の夜景を愛でるコト、それから大沼小沼といったトコロですね☝️
フライトは午後イチですので、12時過ぎには函館駅を出ておきたいです。なので実現性の観点から、摩周丸ということになってしまいました。もっと、早く出れば五稜郭は行けたかもしれませんけど、車両も運用がないし、夜景は明らかにムリですよ。残りは時間的になんともならないです。
凍結した道路を摩周丸に向けて慎重に歩きます。スパイクは迷ってつけませんでしたが、トコロにより危険な箇所はありましたね。
なんとかイカ広場🦑にやってきました。函館山が正面ですよ。ちなみに地面は凍結してます❄️
イカの巨大オブジェ🦑
乗船前に外観を巡っておきます。
わ〜い🙆♀️しかし、風つめてー🥶イヤーマフを手に握っております。
船の錨と⚓️SLの動輪のコンビの意味は?!
乗船料金500円也。青森繋留の八甲田丸は乗船済みですが、あちらは車両デッキも見学可能で、いろいろと静態保存されたおりましたが、摩周丸は見学不可のエリアとなってて残念です。
館内の展示を巡りますが、やはり大戦中の米軍空襲により、連絡船が全滅して多くの犠牲を出したコトと、洞爺丸台風でも多大な犠牲を払った悲しい記憶の展示は興味深かったです。洞爺丸の件は関連書物を読んだこともあり、気象の判断や船体の構造上の問題等、以後の船には様々な改良がなされたこと、そしてこの事件を契機に青函トンネル計画が進んで行ったコトとかを記憶してます。改めてまた読んでみたいと思い、書物はタイトルを撮って来ました。また、近うちに探して読んで歴史を辿ってみようと思ってます。
グリーン席の座席です。
一時期、青函連絡船にはマリンガールという女性クルーが乗り込んでいたそうで、そのブルーの制服をお借りしての撮影が可能でした😊他にも船長さんの制服もありましたが、わたしはこっちをチョイスです。人がいたらば恥ずかしくてムリですが、疎らなこともあって楽々の自撮りですよ😁
ブリッジにあがりました。正面は函館山です。デッキに雪が残ってますが、ここは風が強いので、結構飛んでいってしまったのでしょう。
OBらしき方がいらして、他の方に解説をなさっておりました。わたしも聞きたかったけど、もし個別な感じになってしまったら面倒だと思い、気持ちもカラダも後退りしてしまいましたよ😢
船ですからデッキに出てみたかったのですが、積雪の影響で締め切られており、出ることが出来なかったコトが残念でしたね。やっぱり、来る季節がマズかったかもです😨
御座敷の船室みたいなトコロ。ここだけガキが喚き倒してて、煩かったよ😬イケてねーオトコとイケてーねーオンナとの営みの結晶がコイツかって思いながら見てしまいましたね。
海鳴り聴きながら、冬の津軽海峡見つめる風〜😆実際は函館港だけどね😊
正座してみました。
乗船口にあった大きな当時のポスターです。
「JR」と「JNR」。
船が大きくて、船体全部は入りませんでした。
船の横のデッキを歩きます。
船体後部の車両の積み込み口。
風が強くて、髪の毛抑えてないとヤバイです😨
おー、お天気良いけどさむい〜⛄️
ホテルへ戻る道すがら、海に近づける場所を見つけます。しかし、強風で湾内にも関わらず荒れてましたね。
寒いけど、もう少し続きます😊