石勝線は鉄建の造った高規格路線ですので、例えキハ150でもガタゴトと云う感じにはなりません。横揺れはそれなりですが、かなり快調にかっ飛ばして走ります。ヨンマルも似たようなモノかと思いますが、乗ってないので判定のしようがありませんね💧キハ261ですと、ヨコよりもエンジンが唸る際にタテの揺れの方が感じますね。
結局、何回めかに立てた予定の中で、富良野から苫小牧の移動時の途中、追分下車して安平D51パークに立ち寄るっていうプランがありました。だったらば、今日はヨンマル走ってないし、一度は行ってみたい場所ですから追分で降りて、行ってまいりました🙋♀️
口コミを見てますと、行きは結構な急坂を登るようでして、実際に坂が聳える感じに目前に現れました💦そして、空模様が怪しくて心配しながら歩いてましたら途中で降ってまいりましたわ😱この旅、初めての雨です☂️
D51は屋外に出てると思っていたら、外に出るのは月に2回程度だけみたいです。今日みたいな天気では屋内の方が都合が良いですけど、そもそも雨は外に出ないそうです。でも、蒸気で動いてないから動力はなんだろうね?
奥にD51が見えてます🚂追分は追分町、ここは安平町・・・🤔わたしにしては珍しく、顔抜きしてみました😅
展示室へ入ると機械油の匂いが立ち込めてます。機関車の匂いのひとつですね。屋内というコトもありますが、とてもキレイな状態で保存されたおりました。キチンと手入れがなされているのでしょうね。
最後は追分機関区におりました「D51 320号機」です。
安平町のマンホールデザインはこちら。
キハ183の座席もありました。わたしが乗った貫通タイプの座席とはデザインが違いますね。
初めて聞いく「炭鉄港」という言葉ですが、要約は↓
―北の産業革命「炭鉄港」とは―
広大な大地、豊かな自然。北海道の産業といえば農業、漁業、林業を思い浮かべることでしょう。
明治初期に蝦夷地改め、新たに命名された「北海道」は昭和の高度成長期までの100年の間に人口が100倍となる急成長を遂げました。
実は、この成長の中核となった産業こそ石炭というエネルギー資源。空知の「炭鉱」、室蘭の「鉄鋼」、小樽の「港湾」、それらを繋ぐ「鉄道」を舞台に繰り広げられた歴史が北の産業革命「炭鉄港」の物語です。
約100km圏内に位置し、近代北海道を築く基となったこの三都(空知、室蘭、小樽)を原動力として、大きく発展を遂げた北海道。炭鉱遺産や工場景観、港湾や鉄道施設などが今もなお、歴史をたどる文化財や遺産として存在し、訪れる人に北海道のまだ見ぬ魅力を語っています。(hpより引用)
なるほど🤔って感じですね💡興味深いですよ。その一端が鉄道というコトですもんね。
SLのこの角度からのラインがカッコ良くて大好きです。今年はヨンマルに囚われすぎて、SLの予定が入ってません。「やまぐち号」とか「SLばんえつ物語」に乗りに行きたいですけどね😢
運転席には上がれません。直ぐに何でもかんでも触るアホがいるからか、油ついてるから触るなみたいな注意喚起が書かれてました。そう思うと、キマロキってスゲーオープンですよね。次はキハ 40はいないけど、また行ってみたいな〜。
石勝線が開通当初のくらいの駅名標かな?「ちとせくうこう」ってあるもんね。楓も夕張も駅があった時代ですよ。
漆黒のヘビーメタルだ。外が雨だから、照明が際立っているからか?
とにかく追分にはとても大きな機関区があったようです。そして鉄道関係者の住宅も駅周辺に多くあったのだそう。旧の機関庫はSLの引退直後に火災で機関車もろとも焼失するも、一応再建したのですが石炭輸送の終焉と共に撤去され、鉄道住宅の跡地は住宅地とか公共施設が建ってるそうです。今はガランとしたヤード跡が残るのみですね。
もし、転車台や扇型機関庫が遺っていたならば、ここにJR北海道版の鉄道博物館みたいなものが出来ててもよかったんじゃないかと思いました。そしたらもう、大々的に鉄道の町ですし、違う未来があったのかもしれませんね🙆♀️
それから、扇型機関庫の火災で焼失した機関車の中には、本来保存されるSLも含まれていたそうで、結果保存対象でなかったD51 320号機が保存機になった経緯があるそうです。
ひととおり機関車を眺めた後は、ベンチに腰掛けてジオラマの展示とか、ムービーをたくさん見ました。元機関士の方々の対談はおもしろかったけど、知らない用語も多くて時折f?_?;でしたね😅
外のキハ183と写真が撮りたいなって思いつつ、雨が断続的に降り続いております。列車までは時間がありましたかし、予報では夕方までには止むとのことでしたから、せめて小雨にくらいになるのを待ってましたけど、時間も迫って来たので、雨の中飛び出して撮っておきました☂️
斬新なスラントノーズ。登場当時はかなりエポックメイキングな車両だったようですね。BSフジの「鉄道伝説」見て知りましたけど、改めて実車を見てみるとちょっと感動いたしましたよ。
方向幕は「おおぞら」釧路行き。
2軸の貨車も数両あるけど、大きなクモの巣張ってて、イヤだった〜😨
最後に自販機もD51のデザインです。
行きに見かけたのですが、途中に安立寺というお寺がありました。帰りに詣らせていただこうと思い立ち寄りましたが、本堂は施錠されてて入れませんでした😵鐘楼の真下に風鈴がたくさん吊るされておりましたので、撮っておいたのです。
さらに道すがら、個人宅のお花がとてもキレイででしたので道路から撮らさせていただきました。雨の滴がお花を引き立たせてる感じがとても良かったのです🥰
これから咲く夏の花かな?
花を調べもしなかったですが、ココロがあらわれる風景でした。何もしてない午後だけど、いい時間を過ごせたように感じましたね。
駅に着く頃には雨は上がりましたが、風が強いです。焼失した機関車の動輪がステーションにあったのですが、そちら撮り忘れてました😨
追分駅。静かです・・・。
キハ150で苫小牧へ戻りましょう。跨線橋を越えてホームで列車を待ちます。反対側には、さきほど新夕張から乗った車両が停車中。千歳まで往復して、これから岩見沢へ回送されるはずなので、出発待ちの様子でした。
札幌へ特急で行く方が跨線橋を越えてホーム間違えてしまいまして、それに気づいた駅員さんが慌てて1番ホームから大声で「違いますよー!」って叫んでましたね。駅員さん、よく見たましたよね。素晴らしいです🙂
苫小牧行きは4分くらい到着が遅れましたが、その為に「とかち」は発車を送らせて待ってましたね。結局、一人だけのために待ってたのですが、この方に特急乗り換えかどうかを聞いてるのに、トンチンカンな返事してまして、やはり乗換だったようすが、慌てる様子に見えなかったのか、それとも本人的には慌てていたのかナゾですけど、ゆっくりと跨線橋を越えていき、「とかち」は数分遅延して発車して行きました。
こちらは元々の停車時間が長いもんですから、追分からは特に問題なく、定刻苫小牧に到着いたしました。
雨も降ったのかどうかも、わからない感じの苫小牧です。陽もうっすらと差し込んでましたのでね。夕食はほっき貝のお寿司をサラッと食べたかったので、良さげな回転寿司を探します。調べるとバスで行くような距離で、行きはバスがあるけど、帰りのバスがないというロケーションです。タクシーに乗ってまで頂くほどのモノでもないし、歩けない距離でもないれけど、ムチャは止めておこうと思って、食べたいモノの順として、お蕎麦屋さんを探してみます。探すと1件ありましたので、行ってみましたら、なんか蕎麦屋の雰囲気とは程遠く、外に出てたメニュー見てみると、創作蕎麦料理といった様子なのでした。
わたしは純粋に蕎麦本来の風味を味わいたので、そこにアレンジは必要ありませんからね。結局入らずにどうしようかと思案しながら歩いてましたら、目に入ったのがこのラーメン店なのでした🍜
17:30頃ですので外も明るいですよ。
こちらのお店は塩とんこつのスープだそうで、しょうゆとんこつは聞いたことありますが、塩は初めてですからね。毎度のチャーシュー麺と沖永良部島産のキクラゲをいただきました。なぜか、おまけで小ごはんがサービスで付いて来ました🍚
塩なのであっさり系の風味でしたけど、旨味も出ててちゃんとしたスープで美味しかったです。コッテリガッツリじゃないとマズいラーメンだと思ってる人には合いませんよ。😋なにより、生のキクラゲ食べたのって余り経験ないど、めちゃうまかった〜🙆♀️このお店、19時で閉店だそうなので、食べれて良かったですね😊
ブラブラしながら、居酒屋のメニュー見てたら、ホッキ貝のお寿司とか刺身を見つけました。東横インから近いので、次回こそホッキ貝頂こうと思いましたね。別に高級な貝でもないし、名古屋のスーパーでも並んでるのを見かけましたけどね。苫小牧で食すと気分良いかなって思いましてね😉
早めにお食事も終えましたし、最後の夜を楽しみましょう〜🎶まだ着てない衣装もあるからね😁