今日は大晦日です。
一年、本当に早いものでして、今年もあっという間に過ぎ去ってしまいましたね。
今回は画像なしですよ。なので、決して多いとは言えないアクセス数が、さらに少ないことこの上ないでしょうね。まぁ、そもそもその部分に重きを置いておりませんので、別に構わないのですが、ブログが注目される基本って、ヒトが興味をそそるタイトルと1枚目の画像だそうです。これがダメだとアクセスは伸びないんだってさ。
わたしなんかは、画像をほぼほぼ時系列に並べるから、記事の最初が駅しか写ってないような画像だと、確かにアクセスはとても少ないですもんね。まぁ、女装に期待して見に来るわけだから、最初がそんな関係ない感じの画像だと見る気もおきないのでしょうね。
わたしのは文章が長いですから、全部に目を通される方はかなり少ないんじゃないかって思ってますし、まぁ実情を知る由もないのですけどね。ただ、画像をスクロールして見ているだけの方が多いとすれば、テキトーなこと書いても目に止まらずに全然オッケーな感じですよね。
一時期、他人様のブログをチラチラ見てた時、やっぱりタイトルとか小さなサムネイルの写真で開いちゃいましたもんで。たとえば「エロ」とか「セクシー」とか、そういうフレーズに惹かれて開いてみると、一体どこがエロ?って画像だったり、サムネイルではわからないけど、フツーサイズで見ると、なんだこれ?画像だったり、はたまたアプリパワー炸裂の原型を留めてないような気がする画像だったりで、だんだんと見る機会はなくなりましたね。
さてさて、本題に・・・。
今年はじめの1月、クリニックの通院がココロの準備も出来ぬまま、突然診断を下されて終わりを告げられてしまいました。前回受診時の際の話ですと、あと3回くらいで診断結果を告げるとのことでしたから、わたしにはまさに晴天の霹靂でした。
結果はわたしは「性同一性障害」ではないということでした。
まぁ、そんな事はクリニックに通っている内に周囲と自分を比べるからね、熱を帯びておかしくなってた受診始めた頃ならいざ知らず、冷静になればわかっていたよ。
でも、そうでないのならば「アナタは〇〇な□□です」ってカテゴライズをしてくれると勝手に思っていたのに、診断に続いた言葉は「あとは女装を続けるなり、止めるなり、お好きにどーぞ」というモノだったのよ。もう、わたしは言葉を失い凍りついたよ。。。挨拶もロクにせず診察室を出て来て、会計の順番を間違えても謝らないクソ女のいる受付に腹をてて最後は後にしてきたけどさ。
それがジェンダークリニックというものかも知れないけどね、ただ「○」か「✖️」かの判定しかしないということを知りました。本当、とても時間を無駄に過ごした気がしたな。それに東京まで通ってお金も随分使ったしね、ホント茶番だったよね。
性同一性障害診断の基準として、性器やカラダの嫌悪感の度合いは大きいらしいし、それを解消しようとハサミで性器を切りとろとした行為とかをしたり、それが原因でココロが病んでしまったということが判断基準の材料になるのだと、ネットで見聞きしたことがある。
「れい」のココロでいる時のわたしは、性対象は男性でも女性(わたしとしては同性愛になるのです。そしてウケ側です)でも問題ないタチです。女性らしいふっくらしたカラダになりたい願望はありますが、性器に対しては、たまに邪魔だなって思うことがあっても、激しい嫌悪感はなかったから、対象の論外だったのは間違いないですね。
結局、何モノなのかはハッキリわからずです。自分でもいろいろ考えたけど当てはまるものがないのですよね。
でもまぁ、カウンセリングとは言っても、本人の書いたレポを読んでるだけだし、エセ性同一性障害の人は、妄想が実体験したかのように置き換わって自分のコトバにしていまうそうです。
医師はそこから「ウソ」かどうかの判定をしなけりゃならないけど、今の日本の制度では、国内で手術まで辿り着けるケースは稀だから、とりあえず、本人がそうだというならば、治療と称してホルモン投与で濁し続けるのが一番の安全策だともネット上で見聞きしたことがあります。実際のところは、どうなのかわかりませんけども、あながちテキトーな記事でもないような気がしてますけどね。
だって、ホルモン投与の間はずっと通ってくれるんだよ。腎臓移植と人工透析の相反する関係に似ている気がするのはわたしだけかな?
非常にとりとめのない記事となりましたが、わたしはこの件を今年中に吐き出したいと思ってていたら、ズルズルと大晦日まで来てようやく記すことができました。
でも、人に知ってもらいたいとかいうよりも、自分の記録を残しておきたかっただけですね。昨晩に思いついて、今日キーを叩いて完成しましたよ。
そんな感じの年の瀬ですね。
さて、今年もあとわずか、良いお年をお迎えくださいませ。
ながつき れい